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John Pasden via Flickr
コロナ・ウイルスを世界は無視しようと努めているが、上海ではその姿勢は通じない。中国政府がどう動くのか、彼らの政治的思惑で姿勢が変わる。コロナのリスクなのか、中国政府のリスクなのか判らなくなっている。
コロナ・ウイルスを世界は無視しようと努めているが、上海ではその姿勢は通じない。中国政府がどう動くのか、彼らの政治的思惑で姿勢が変わる。コロナのリスクなのか、中国政府のリスクなのか判らなくなっている。
選挙より現実をすぐに意識させる読売は正しい。いくつあるのかわからない旧民主党が野党として機能しないのは明白。政権論争さえ生み出せなかった。次の流れなど全く見えない。目の前の制作を自民党にどう安定して任せられるか、どのようにチェックを機能させるかを考えるほうが現実的だ。勝手に文脈をすり替える産経のような存在がメディアにさえ見える。チェック機能さえ働かなくなりつつある。悪事はすでに宿っている。
最初からこの冷静さを持てとしか思えない。週末の自紙の社説への反省を先にすべきだ。内容は横並び。つまり発表された以上の情報はない。ならば語る内容が重要なのだが、一般人が考えられるレベル以下。仕事になっていない。
英国に目を向けられる余裕があったのは読売だけ。戦争さえ忘れかけている。浮き足立っているわけでも、無関心でもないのに、社会がバラバラになっている。恐ろしいほどまとまりがない。
昨日につづき、Wall Street Journalが安倍氏追悼と賛辞。外交は素晴らしかったようだ。その犠牲を国内が負ったのなら順番が逆だ。海外で批判されてでも国内を豊かにするのが日本の総理大臣の仕事。世界の称賛がむしろ哀しい。