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昨日、最高裁の不穏な動きを報じていたWall Street Journalから、今日は心が晴れるような話題。独立記念日にふさわしい。
昨日、最高裁の不穏な動きを報じていたWall Street Journalから、今日は心が晴れるような話題。独立記念日にふさわしい。巻き戻しを試みようとする最高裁判事たちにはこの動きも不愉快なものかもしれない。それだけでも私が保守派のやり方が中国共産党に似ているとの表現は超越ではないと感じるはずだ。自由という言葉がどこまでの行動を許すかの感覚はそれぞれに違う。だから何度も対話し、もっとも寛容なルールをつくるのが理想だ。アメリカから対話が消えた。寛容さも消えた。抗う人たちが輝いて見えるのは香港と一緒だ。アメリカは信念を曲げなかった人たちが称賛される国。今回もそうなることを願っている。
賃上げを政治に期待する人が今の時代でもいるだろうか?言動の信頼度としても、システムとしても機能しなくなっている。だから労働者の行動が政治にリンクしない。私は、日本が癒着や見えない意思決定を国民性として許容する以上、政治と経済は分離している方がいいと思う。ならば政府ができるのは、減税かバラマキのみ。支持率のための賃上げ要請など無意味だ。
広報か?開催だけならカネを使えばできる。せめて内容を。できれば成果を教えてほしい。まだ開催しただけなのは判るが、目標設定と現時点での反応くらいは判るはずだ。
議論を構築する能力が毎日にはない。話題を見つけながら調べて課題を分散させているだけ。もっともあってはならない。思い付きで話す前に調べてほしい。話す前に論点を整理してからにしてほしい。中学生が習う話だ。
こんな仕組み、機能するはずがない。いまの日本でブランド力を維持する、みずから模範のなるために社会に貢献する会社がどれだけあるのか。その数える程度の企業だけの努力で脱炭素が進むと思っているなら、発想が80年代より古い。こんなことを決めるために何人の人が集まって無駄な時間を使っているのか。非生産的だ。
タイムリーさが目立つようになってきた読売。品質向上を感じる。時間を優先しているからか、内容が薄味なのは気がかりだ。気づかされるような視点や考察はない。予定調和の選挙の話題、カレンダーに合わせて話題を論じるだけの手法よりは報道としての役割を期待できる。あとは継続と深さだ。