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どんなコンテンツが投稿されても、テック・メディアには責任はないとする230条の改定。これが世界に伝播すれば、インターネットに書き込まれるコンテンツの信用度は、もう少し良くなるかもしれない。
あと1週間、退任までは政治の場では駆け引きがつづきそうだが、その先には、この230条改定が大きなテーマになるだろう。どんなコンテンツが投稿されても、テック・メディアには責任はないとする法の改定。これが世界に伝播すれば、インターネットに書き込まれるコンテンツの信用度は、もう少し良くなるかもしれない。私は、コンテンツの全責任を企業に押し付けるのは難しくとも、誰がコンテンツを書き込んだのかを見つけ出す義務、賠償を負わせる義務、賠償できない際には補填する義務は負うべきだと思う。この責任はテック・メディアのビジネス・モデルに大きな変化を促し、大きな負荷を負わせる。当然、収益も株価も落ちるだろう。それでもすべきだと社会は求めている。私も同意見だ。
感染症を思えば、半年に一度、入学の機会を与えるくらいの柔軟さがほしかった。そういう選択肢は、休学のつづく大学に、いま無理をして入らなければならないのか?という疑問への選択肢も増やす。安全対策と言いながら、大学は学費相当のサービスを提供しているのか疑わしい。
検査に消極的な方針を許容したら、何もかもがこうなる。備えられるわけがない。検査率を上げなければ、いつまで経っても空論のままだ。最初から失敗しているのだと、まだ気づかないのだろうか?
新聞社も言うほど女性参画できているとは思えないが。自分が先にやったらどうだろう?
書くことがなかったかのような唐突さ。菅氏が全集中と言い出したのと同じレベルの滑稽さ。知らずに語らないでくれ。ちゃんと仕事してくれ。
悪いことではないが、何のためにやるのか?どれほどのコストで、どれだけの効果を狙っているのか?菅氏は一度も説明していない。ただの人気取りか?
何でこんな話題を肯定的に伝えはじめたのだろう?そろそろ国家が個人のカネを必死に集めないとヤバい状況なのだろう。新札に切り替えるとか、マイナンバーとか、どうも怪しい。脱税はダメだが、海外に資産を移すまでは合法。国家は何のためにかぎ回っているのか?