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2839.報道比較2016.12.29

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安倍氏は、オバマ氏が広島に来ていなくても真珠湾に行っただろうか?ノーだ。アメリカが動いたから動いた。3年前にヤスクニに行った人が、今年は真珠湾。それを平然と受け流す自民党、メディア、日本国民。そして、防衛官僚はヤスクニへ。おそらく、これが世界が感じる違和感だろう。

朝日新聞・社説
真珠湾訪問 「戦後」は終わらない

産経新聞・社説
真珠湾での慰霊 平和保つ同盟を確認した

日本経済新聞・社説
「真珠湾の和解」を世界安定の礎に

毎日新聞・社説
首相の真珠湾訪問 和解を地域安定の礎に

読売新聞・社説
首相真珠湾訪問 日米は「和解の力」を実践せよ

国内全紙が安倍氏の真珠湾慰霊を取り上げた。沖縄は無視しても、政治の象徴的な動きには結集する。新聞は、戦争で何も変わらなかったものの象徴のようだ。権力に迎合し、本質を伝えるよりはねじ曲げる。だから一紙にコミットしてはならないと思うが、最近は、さらに日本以外のメディアも見なければ安心できない状況だ。今回も、それは変わらない。
バランスが良いのは日経だが、日経の他人事のような距離感、無抵抗の傍観者のような感覚は、違和感がある。産経は他紙が取り上げたアジアさえも忘れ、中国への敵対心をむき出しにしている。この感覚は、戦前の日本のアメリカへの感情と一緒だ。読売は冷静さを維持しているが、政府応援団のスタンスは変わらない。朝日と毎日は、政権批判を感情だけで繰り広げた。
人は、感情は、感情によって判断し、行動する。それは否定することでもないし、時として物語をつくる。論理だけで進まないから政治があり、その政治が感情を弄ぶことは、極めて注視しなければならないと人は知っている。ならばメディアは、自らが感情を表す時は相当な注意が必要だし、それを利用するのはタブーだ。感情が情報源から来たのか、自身の中にあったのか、読者にそれを感じているのか、メディアである以上、十分な配慮が必要だ。それをできるメディアは、戦後70年経っても一紙もない。
今日、日本国内では電通が過労自殺した件が書類送検されている。異例の早さだ。その話題を先んじる価値観があってもいい。そんな立場を見せるメディアも、朝日が2本目に準備したに留まる。
同化し、出る杭を打ち、タブーからは目を反らす。多様な意見を空気で抹殺し、多数決だけで強行に是非を問う。今回の真珠湾を訪問したことは否定しないし、広島にアメリカ大統領が来た年に実現できたのは理想的だとは思う。だが、それ以上でも以下でもない。それ以上に、日本が戦前と変わらない、意志を持たない社会に見えるのが心配だ。プーチン氏がまるで日本を相手にしなかった理由も、アメリカが平然と地位協定を維持しながら、いつでも日米同盟を一方的に変える権利を持っているのも、中国や韓国が日本を警戒しつづけるのも、言うなればこの多様性のなさ、意志のなさが原因だ。
安倍氏は、今年、オバマ氏が広島に来ていなくても真珠湾に行っただろうか?ノーだ。アメリカが動いたから動いた。3年前にヤスクニに行った人が、今年は真珠湾。それを平然と受け流す自民党、メディア、日本国民。おそらく、これは世界から見ると異常だ。その違和感の根底にある「日本人を理解できない、信じられない」という感覚に、適切に応え、違和感を消していかなければ、各紙が言っている戦後も、日本の立場とやらも見出せないだろう。

人民網日本語版
安倍氏はなぜ南京へ慰霊に行かないのか (2016.12.27)

人民網が秀逸だ。この記事が取材をベースにしていることは、いつもの人民網の一人称の社説より、決定的に説得力を高めている。日本国内の過ちを完全に見出し、日本の新聞の社説は完全に負けている。中国自身の立場はどうなのか?という問題点は、またアメリカの新聞が違和感を伝えているのが興味深い。
報道が示すべき現実とは、この多様さだ。ここから考え、多様な意見を持つべきなのが社会だ。そこに、アメリカだけ仲良くして、中国は無視すべきと答えを出すのは政治の役目だが、なぜそう判断したのか、他にどれだけの意見があったのかをメディアが伝えるのは大切な仕事だ。
中国の新聞が伝えなければ、日本のメディアが統制されていること、口を閉ざしている事実は忘れられていただろう。今の政治は、慰安婦問題を、無視どころか、なかったことまで逆流させようとしている。こういう修正主義の政治は、絶対に許されるべきではない。

Wall Street Journal
習氏の権力闘争、歴史的転換の前兆 (2016.12.28)

これは中国が修正主義に染まっているとの話題ではないが、権力集中への危機感の表れだ。中国の権力集中は、大きくなった中国のリスクが政治に集中していることを示している。これがアメリカや日本のようになっていれば、政治と経済は分離できる。政治の決定が経済にインパクトを与えることはあっても、中国のように一心同体のリスクはない。しかも、中国は政党がひとつ。そこで、皇帝のような核心に権力が集められている。習氏の経済運営が機能しているなら、アメリカもここまで騒ぎはしない。外交、安全保障や領海問題だけなら、交渉が前提であり、いつの時代でも衝突が付き物の課題だ。だが、経済の世界はマネーで世界がつながっている。ある国の起こした波が、他の国に大きくなって伝わるのは日常だ。そして、マーケット全体に不穏な空気が生まれはじめ、習氏の経済能力のなさがさらに際立つのを見ると、アメリカの不機嫌さはさらに高まる。去年と同じ、チャイナリスクに身構えている。

Financial Times
扇動家の年:2016年はいかに民主主義を変えたか (2016.12.18)

長文にしては、内容は薄い。今年、Financial Timesの凋落ぶりを、民主主義の終焉を論じるFinancial Times自身に感じる。実際にはもっと優秀なコンテンツがあって、日経の買収による日本語化のコンテンツの減少がひどい状況を作っているだけかもしれないが、日経から届けられる、ある意味でオフィシャルなFinancial Timesのコンテンツの質も、スピードも、まるで価値を見出せるレベルではない。日経の買収とともに優秀な人材との関係が失われたと見る方が適切だろう。
民主主義だけを振り返るなら、たしかに中国を除外できるとは思うが、政治の世界の最大のリスクがアメリカなのは認めるが、ふたつめは国力から考えても中国だ。その後、ヨーロッパ全体のリスク。日本は極めて政治基盤は安定している。それが日本の政治が高等、または理想的という意味とイコールではないのは誰もが知っている。アメリカの政治でトランプ氏が暴走をはじめれば、経済はトランプ氏からの独立、離反を模索するに違いない。イギリスで、徐々に経済がヨーロッパに別の拠点を作りながら、イギリスで生まれる新たなシステム、優遇措置をしたたかに利用する準備をしているように。政治は、社会にとって重要な位置を占めるが、すべてではない。ひとりのリーダーが決定できることの影響が大きいか小さいかは、民衆が決める時代だ。
だから私は、Facebookやメディアの破滅より、民衆は本当にグリーバリゼーションを拒絶しているのか、格差の是正のためには国家主義さえ受け入れるつもりなのか、それを恵まれる富裕層さえも認めるのかの方が気になる。トランプ氏の過激な発言よりは、トランプ氏の主張を、ビル・ゲイツやウォーレン・バフェットが聞かなければならない社会になるのか、それをニューヨーク、シリコンバレーやハリウッドが認め、アメリカという国が推進するのか、ということだ。そこまでアメリカ全土が変わろうとするなら、世界は大きく動き出し、革命に似た世界の変化がはじまったことを私も認識する。その分水嶺に、世界は立っている。

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