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2216.報道比較2015.5.5

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身構えていたほど、連休で日本のマーケットが置いていかれることは、今年もなかった。安らいだ連休になっただろうか?

産経新聞・社説
日銀見通し後ずれ 物価支える消費の回復を

日銀は適切に仕事をしている。政治は…圧力という意味での仕事はしてくれているようだ。賃上げには、プレッシャーをかけなければ動かないだろうと政治が判断したのなら、おそらく正しいだろう。政治に景気向上のリーダーシップを依存するなら、指示が来たら受け入れる責任がある。
私のような、中小にさえなれない零細業は、時代の流れに合わせたような賃上げをすることはないだろう。波及などしない。事業が好転すれば世の中が不景気でも賃金は上がる。逆も然り。ただ、トレンドが上向けば事業が好転しやすいのは事実だ。だから賃上げのプレッシャーが大手企業に起きるのはありがたく、次はおそらく設備投資を強要するのだろうが、それもまた期待している。日本のどこにマネーが淀んでいるかといえば、企業。そして家計。いまでもこの図式は変わらない。零細の私が反省するのは、シンプルにその淀んでいる人たちが魅力を感じるものを創造できていないことだ。大手の方々は、風が吹くのを待っていればいい。零細の私は、自らが快適と思える場所に、これから人が求めるものの創造に、活路を見出したい。

読売新聞・社説
医薬分業 「かかりつけ」の機能強化図れ

読売の主張にシンプルな疑問が生まれた。薬漬け医療をやめるために、という発想で進んでも、薬漬けはなくなっていないように見えるが、違うだろうか?病院の収入減としての薬局という原因を是正するには、分業化するというソリューションが間違っていたのではないだろうか?薬漬けという言葉は悪いイメージを招くが、薬だけで健康が維持できるならラクだという発想も社説内に感じられる。筆者は理解して書いているのだろうか?
もし、厚労省でさえ行き詰まりを感じているのなら、もう一度、何もかも見直すべきではないだろうか。世界で最長の平均寿命を誇る先進国。その名に恥じないしあわせが、日本の高齢化社会にあるだろうか?健康で、精神的にも安らいでいて、寿命が長い。その前提になるための精神的な安らぎが、見失われたままここまで来た。今のままでは、高齢化社会はさらに老人に精神的重圧を強いようとしている。システムの問題から逸脱して申し訳ないが、医療に関してはコストダウンや生産性を追求するのとともに、ずっと置き去りに去れている問題があるような気がする。

Financial Times
米中の行く手に待ち受ける「冷たい平和」 (2015.5.1)

この議論に答えを出すには、中国が一度、大きな経済危機を迎えてからにした方がいいだろう。世界がもっとも見てみたいのも、その未来ではないだろうか。いまの中国経済が持続するとは思えない。今はバブルであり、大きな収縮がいつ来てもおかしくない。それは、中国の人たちも含めて納得するコンセンサスのはずだ。問題は、その対応がソフトかハードかに関わらず、どんな未来を描くのかだ。アメリカのように、異常といわれても、無理といわれても復活するのか。日本のようにはかない夢でしぼんでいくのか。ロシアのように破滅に向かうのか。イギリスやドイツのような安定したスタイルもある。中国の価値観は、どれにも合致していない。新しい国家像、価値観を創出するようにも見えるし、何も手に付いていないようにも見える。立てば立つほど、アメリカは日本にしたように中国を攻撃するだろう。追い込まれていく中国が何をするのか、興味深い。

朝日新聞・社説
子どもの貧困―大人一人ひとりが動こう

日本経済新聞・社説
社会全体で子育てを支えよう

毎日新聞・社説
こどもの日 ゆったりと、はぐくむ

新聞が語るこどもの日は、あまりに暗い。そして、提案力もない。書いている人たち自身も、家庭の中で存在感を持っている人たちか怪しいレベルの発想。こどもの日に合わせたつもりだろうが、完全に墓穴だ。
産経や読売のようにスルーした方がいいか、判断がむずかしいのは判る。距離をとるその姿勢こそが、無関心の発端になり、少子化や家族という組織が脆弱になった遠因だろう。だが…朝日も日経も、感覚として認識しているだけで、問題の根源も、解決策も見ていない。毎日のぼんやりとした過去礼賛はなんだろう?意味もなく回顧主義に走っても、社会もこどもも学ばない。こういう姿勢が、むしろ過去と現在との距離を拡げ、断絶する。
私は先日、行政の会合に参加してみたが、その場で得られた情報はここでの社説よりよほど本質的だ。行政は、ぼんやりと見ているだけではない。問題を分析して解決しようとしている。それを捉えもせず、取材もせず、距離をとりながら固定概念で無責任に発信していくことが、問題をさらに悪化させているように思える。
ここまで社会のコミュニケーションが崩壊していった問題のひとつは、確実にマスコミにある。固定観念、均一化された理想像を勝手に想像し、政治や行政を攻撃することで問題が解決を促して収束する。そういう形で問題解決を図ろうというアプローチこそ、すでに大きく理想から逸脱していて、社会がしあわせを感じる邪魔をしているに過ぎないと認識して欲しい。こどもの日に、もっともあってはならない社説だ。

Wall Street Journal
宇宙放射線、飛行士の脳の働きに障害を与える可能性 (2015.5.2)

対比させて申し訳ないが、こどもの好奇心が刺激され、大人とともに楽しく話せる話題とは、こういう話題のことだ。過去を称賛するなら、叡知や科学的な根拠とともに、学びを探さなければ「そんな時代もあったのか」と、こどもが感じるだけで、数時間後には忘れ去られるだろう。こどもたちの未来に価値のある形で提供しなければ、大人は受け取り側から拒絶されるだけだ。彼らの人生は、さらに長い。学ぶことは我々より多い。無駄な時間を過ごす余裕は、彼らにもない。
大人が勘違いすることが、いくつかある。大人の方が賢い。これは完全に誤りだ。過去の延長線上に社会があるから、過去のルールに大人が適合したから、こどもがそれを習得していないだけだ。だからこどもは、シンプルでないルールには違和感を見せる。それは社会が間違っていることが多々ある。
大人の方が知識を持っている。ある一点においては正しいが、これは、ある日どこかで逆転する。その日が大人が老いを感じる瞬間だろうし、次の世代に時代を渡す瞬間なのだろう。これが少しでも早い方が、高齢化社会にはしあわせなはずだが、なぜか大人は既得権にこだわる。彼らより知識を持っていると言いたがる。学ぶことへの意欲は、こどもに勝てないというのに。
世界はまだ、未知のことばかりだ。これこそが、こどもが気づかず、大人が教えるべき、もっとも大切なことだ。この事実を知った時ほど、こどもが輝くことはない。だから、Wall Street Journalのこういう記事こそが、最高のプレゼントであり、次の未来へのバトンでもある。大人たちのしていることよりもいい方法を、こどもたちが考えて追い越せる。見つけた答えを、どんどん引き継いでいく。そうやって、人はここまで生きてきた。輝いている大人がしているのは、挑戦であり、探求であり、努力である。こどもの時と変わらない。こどもの輝きを、少しでも長くできる社会を目指すことが、こどもの日に考えることではないだろうか。

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