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2053.報道比較2015.1.9

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日本国内、海外も含めて、すべてフランスでのテロ一色に。こんなことは3.11以来ではないだろうか。思想の衝突がさらに混乱を巻き起こさないといいが…

Financial Times
仏紙襲撃、地元出身のジハード主義者の「報復」 (2015.1.8)

Wall Street Journal
神への冒瀆、イスラム社会では極刑に相当―仏襲撃事件で脚光 (2015.1.8)

朝日新聞・社説
フランス週刊紙襲撃―言論への暴力を許すな

産経新聞・社説
仏紙銃撃テロ 表現の自由は揺るがない

日本経済新聞・社説
表現の自由へのテロは断じて許されない

毎日新聞・社説
仏週刊紙襲撃 憎悪あおるテロを断て

読売新聞・社説
パリ新聞社銃撃 表現の自由に挑戦する蛮行だ

海外紙と日本の新聞で、微妙にニュアンスが異なる。日本の新聞のがいつものように理念や思想に偏っているようにも見える。日経の危機感は適切で正しいだろう。1000万人以上が日本に訪問してくれている現在、私たちは外国語を話せないどころか、文化の一端さえ理解していない。理解した方がいいということに気づいてさえいないかもしれない。それは大いなる危機だ。
北朝鮮とアメリカでトラブルになっている映画にも、似たような部分がある。暴力や攻撃が許されないのは必然だろう。人として、法がなくとも成立する大前提だ。だからイスラム教徒の人でさえ、標的になったメディアを支持すると表明する人もいる。どれだけ口喧嘩をしても、手を出したら負け。「なのになぜ戦争は許されるの?」とこどもに訊かれると、どんな大人さえうまく答えられないのだが、怒った時にこそ、過激な人たちには理解してほしい点だ。
もう一方の視点を、その倍の言葉を使って言いたい。相手が不快に思うものを好きなだけ放出していいのが「表現の自由」だと言うのなら、怒りが生まれるだけテロは終わらない。風刺は、今風に言えば炎上マーケティングの極みだ。表現で相手を貶め、攻撃して注目を得ようとするのだから、自主規制を自らに課す方が、より良い表現者ではないだろうか?通常、風刺や評論をやる時には、暗黙のマナーがあり、私は忠実に守っている。それは、攻撃するときは、明らかに相手が自身より強い立場にあること。指摘は総論ではなく各論に限ることだ。宗教を攻撃する風刺や、国家元首を暗殺する映画が、新しい価値観の提示ではなく、ただのジョークやマネーのために行われ、それが「表現の自由」になる社会のがおぞましい。海外紙が冷静なコラムを書いている理由はそこにある。ジョン・レノンやチャップリン、ボブ・ディランが愛された理由は、彼らがした批判や攻撃が痛快だったからではない。新しい価値観を見出したからだ。相手が怒ることや、話題を煽ることを目的にした「表現の自由」とやらを守るために、誰もが攻撃される不安を許容しなければならないのだろうか?

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