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2839.報道比較2016.12.29

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安倍氏は、オバマ氏が広島に来ていなくても真珠湾に行っただろうか?ノーだ。アメリカが動いたから動いた。3年前にヤスクニに行った人が、今年は真珠湾。それを平然と受け流す自民党、メディア、日本国民。そして、防衛官僚はヤスクニへ。おそらく、これが世界が感じる違和感だろう。

朝日新聞・社説
真珠湾訪問 「戦後」は終わらない

旧日本軍による奇襲から75年。米ハワイの真珠湾を訪問中の安倍首相がオバマ大統領と演説し、かつての敵味方による「和解の力」を訴えた。「戦争の惨禍は、二度と繰り返してはならない」「戦後70年間に及ぶ平和国家としての歩みに静かな誇りを感じながら、この不動の方針を貫いていく」首相はそう語り、「未来」に向けて不戦の決意を強調した。太平洋戦争は日米だけの戦争だったわけではない。米英などとの開戦は、満州事変以来の10年に及ぶ中国への侵略や、その行き詰まりを打開するための東南アジアへの武力進出から生まれた。アジアの人々にも悲惨な犠牲を強いたことを忘れてはならない。首相は、今回の演説で戦後を終わらせたかったのだろう。だが逆に印象に残ったのは、過去を語らず、沖縄の声を聞かず、「美しい未来」を強調しようとする首相の姿である、としている。

産経新聞・社説
真珠湾での慰霊 平和保つ同盟を確認した

「和解の力」に基づく日米同盟の絆の強さを発信した意義は大きい。緊密な同盟こそ地域安定の礎となるものだ。その抑止力を一層高めていくことが重要である。日米戦争発端の地となったハワイ・真珠湾で、安倍晋三首相と米国のオバマ大統領が肩を並べ、戦争で亡くなった人々を慰めたことを素直に喜びたい。今後、具体策を講じるのは、安倍首相と来年1月に就任するトランプ次期大統領の役割となる。日米の協力を継続、強化していかねばならない。安保関連法や防衛力の整備は、日米同盟と自衛隊を充実させ、戦争を抑止する。平和への道としての努力であることを、内外に説明していく必要がある。それは、首相が語った「世界を覆う幾多の困難に立ち向かう希望の同盟」の実現に不可欠だ。ここで安倍首相には、靖国神社参拝の再開を改めて求めたい。吉田茂首相(当時)はまだ占領中の昭和26年10月、サンフランシスコ平和条約締結を戦没者に報告するため靖国を参拝した。真珠湾訪問も十分報告に値しよう、としている。

日本経済新聞・社説
「真珠湾の和解」を世界安定の礎に

山本五十六率いる連合艦隊がハワイを奇襲してから75年、終戦からでも71年が過ぎ去った。長い長いときを経て、日米の首脳がようやく開戦の地、真珠湾に一緒に足を運んだ。国と国との戦い、そこに参加した人と人との争い。その痛みの記憶が完全に風化する前に「和解」を象徴する機会を設けることができた。画期的なできごとと高く評価したい。オバマ大統領が日米同盟を「共通の利益だけでなく、共通の価値観に根ざして結びついた」と評したこともよく記憶しておきたい。日本には現在の日米同盟を中国の海洋進出や北朝鮮の核開発がもたらす軍事的脅威への対抗手段と捉える人々が少なくない。仮想敵国を抑え込む。そんな単純な国益だけでできた軍事同盟ほどもろいものはない。もしもトランプ次期政権が米国の国益を最大化する手段として「対中融和」を選択したら、いっぺんに崩壊してしまう。倍首相の所感が、日本がなぜ戦争への道を歩んだのかに触れなかったのは残念である。いつまでも「謝罪」ではあるまい。オバマ大統領は広島で原爆投下を謝罪しなかった。それはその通りだ。
 とはいえ、戦争をしかけた側としかけられた側の立場は同じではない。真珠湾で始まった戦争は両国のみならず、アジア太平洋の多くの住民に多大な被害をもたらしたことも忘れてはならない、としている。

毎日新聞・社説
首相の真珠湾訪問 和解を地域安定の礎に

安倍晋三首相がオバマ米大統領とともに、太平洋戦争の戦端が開かれたハワイ・真珠湾を訪れて、戦没者を慰霊した。戦後、日米両国は安保条約を結び同盟国となった。しかし、米国にとっては真珠湾への奇襲攻撃や米兵捕虜の扱いが、日本にとっては広島、長崎への原爆投下、日系人の強制収容などが、両国関係の歴史に刺さったトゲのようになってきた。首相の真珠湾訪問によって、日米間に戦争をめぐるわだかまりがなくなるわけではない。和解プロセスは今後も続けていかなくてはならない。それでも同じ年に、両首脳が太平洋戦争の重要な場所を互いに訪問したことは、象徴的な意味を持つ。もう一つは、アジアへの視線が見られなかったことだ。昨年の米議会演説や戦後70年談話に盛り込まれたアジア諸国に対する戦争の加害者としての視点はなかった。おそらく首相は、戦後70年から真珠湾訪問までで「戦後」に一区切りをつけ、「未来志向」で外交を展開したいと考えているのだろう。首相は、未来を語るうえで、歴史を謙虚に顧み、反省を踏まえる姿勢を示すべきだったのではないか、としている。

読売新聞・社説
首相真珠湾訪問 日米は「和解の力」を実践せよ

安倍首相が米ハワイの真珠湾を訪れた。オバマ米大統領とともに、旧日本軍による真珠湾攻撃の犠牲者らを慰霊した。今回の訪問は、昨年4月の首相の米議会演説、8月の戦後70年談話、そして今年5月のオバマ氏の広島訪問から連なる日米の戦後処理の歴史的な集大成である。首相は演説で、「戦争の惨禍は二度と繰り返してはならない」という「不戦の誓い」を今後も堅持する考えを改めて表明した。日米同盟は、東西冷戦中は西側陣営の主要な柱として機能した。冷戦終結後も、多くの不安定要因を抱えるアジア太平洋地域の平和と繁栄を支える公共財として、関係国に高く評価されている。来月20日に就任するトランプ次期米大統領のアジア外交の行方が不透明なことも気がかりだ。日米両国には、政治家、官僚、制服組、経済人など各層に、長年かけて築き上げてきたパイプが存在する。これらを土台に、首脳同士が、同盟の意義と新たな方向性について率直に意見交換し、認識を共有することが急務である、としている。

国内全紙が安倍氏の真珠湾慰霊を取り上げた。沖縄は無視しても、政治の象徴的な動きには結集する。新聞は、戦争で何も変わらなかったものの象徴のようだ。権力に迎合し、本質を伝えるよりはねじ曲げる。だから一紙にコミットしてはならないと思うが、最近は、さらに日本以外のメディアも見なければ安心できない状況だ。今回も、それは変わらない。
バランスが良いのは日経だが、日経の他人事のような距離感、無抵抗の傍観者のような感覚は、違和感がある。産経は他紙が取り上げたアジアさえも忘れ、中国への敵対心をむき出しにしている。この感覚は、戦前の日本のアメリカへの感情と一緒だ。読売は冷静さを維持しているが、政府応援団のスタンスは変わらない。朝日と毎日は、政権批判を感情だけで繰り広げた。
人は、感情は、感情によって判断し、行動する。それは否定することでもないし、時として物語をつくる。論理だけで進まないから政治があり、その政治が感情を弄ぶことは、極めて注視しなければならないと人は知っている。ならばメディアは、自らが感情を表す時は相当な注意が必要だし、それを利用するのはタブーだ。感情が情報源から来たのか、自身の中にあったのか、読者にそれを感じているのか、メディアである以上、十分な配慮が必要だ。それをできるメディアは、戦後70年経っても一紙もない。
今日、日本国内では電通が過労自殺した件が書類送検されている。異例の早さだ。その話題を先んじる価値観があってもいい。そんな立場を見せるメディアも、朝日が2本目に準備したに留まる。
同化し、出る杭を打ち、タブーからは目を反らす。多様な意見を空気で抹殺し、多数決だけで強行に是非を問う。今回の真珠湾を訪問したことは否定しないし、広島にアメリカ大統領が来た年に実現できたのは理想的だとは思う。だが、それ以上でも以下でもない。それ以上に、日本が戦前と変わらない、意志を持たない社会に見えるのが心配だ。プーチン氏がまるで日本を相手にしなかった理由も、アメリカが平然と地位協定を維持しながら、いつでも日米同盟を一方的に変える権利を持っているのも、中国や韓国が日本を警戒しつづけるのも、言うなればこの多様性のなさ、意志のなさが原因だ。
安倍氏は、今年、オバマ氏が広島に来ていなくても真珠湾に行っただろうか?ノーだ。アメリカが動いたから動いた。3年前にヤスクニに行った人が、今年は真珠湾。それを平然と受け流す自民党、メディア、日本国民。おそらく、これは世界から見ると異常だ。その違和感の根底にある「日本人を理解できない、信じられない」という感覚に、適切に応え、違和感を消していかなければ、各紙が言っている戦後も、日本の立場とやらも見出せないだろう。

人民網日本語版
安倍氏はなぜ南京へ慰霊に行かないのか (2016.12.27)

「安倍晋三首相は近く米国ハワイへ慰霊に行くが、なぜ南京など戦争で傷つけられたアジア各地へ慰霊に行かないのか?」「安倍政権の問題を1つ1つ暴かなければならない……正義ではないことがいつまでも続くことはない」。日本「女たちの戦争と平和資料館」の池田恵理子館長は取材にこう語った。池田氏によると、以前日本国内の戦争と平和関連の記念館を調査した結果、「慰安婦」問題に言及する国立記念館は1つもなく、公立、県立、私立記念館も少しだけだった。右翼勢力は「慰安婦」問題と南京大虐殺を認めるのは「自虐史観」だと考えており、右翼勢力の圧力の下、元々「慰安婦」問題に少し言及していた記念館も関連する内容を撤去した。「政府と地方自治体は関連資料をしっかりと収集し、保存することができずにいる。これは大変遺憾だ」。安倍氏が「慰安婦」問題を否認する態度を取っているため、日本社会全体にこうした傾向が見られる。これは歴史に対する無知を示すものだ。池田氏は「今は安倍政権の問題を1つ1つ暴かなければならない。私は決してあきらめない。正義ではないことがいつまでも続くことはない」と語った、としている。

人民網が秀逸だ。この記事が取材をベースにしていることは、いつもの人民網の一人称の社説より、決定的に説得力を高めている。日本国内の過ちを完全に見出し、日本の新聞の社説は完全に負けている。中国自身の立場はどうなのか?という問題点は、またアメリカの新聞が違和感を伝えているのが興味深い。
報道が示すべき現実とは、この多様さだ。ここから考え、多様な意見を持つべきなのが社会だ。そこに、アメリカだけ仲良くして、中国は無視すべきと答えを出すのは政治の役目だが、なぜそう判断したのか、他にどれだけの意見があったのかをメディアが伝えるのは大切な仕事だ。
中国の新聞が伝えなければ、日本のメディアが統制されていること、口を閉ざしている事実は忘れられていただろう。今の政治は、慰安婦問題を、無視どころか、なかったことまで逆流させようとしている。こういう修正主義の政治は、絶対に許されるべきではない。

Wall Street Journal
習氏の権力闘争、歴史的転換の前兆 (2016.12.28)

習氏は汚職撲滅運動を展開し、領有権の主張や国益に絡んで軍を動員したことで国民の支持を勝ち取る一方、アジアと欧州を結ぶインフラを構築する「一帯一路」構想によって世界での地位を高めてきた。政府関係者らによると、習氏が服従と緊縮を強調したために多くの当局者が政府を去り、残った者はただ命令を伝えるだけで、主導権を取ることを避けている。 習氏はその過程で多くの人を敵に回した。党関係者によると、汚職捜査への恐れからあからさまな反抗はないものの、受動的な抵抗は党内に広まっており、習氏の権力増大につれて失敗に対する責任も増している。習氏が本当に信用できる仲間の人数は限られている。習氏が権力を持っていることには議論の余地がないものの、その基盤は脆弱だという。10月の会議で、中央委員会は習氏を「核心」の指導者として承認したが、これは胡氏には与えられなかった肩書だ。その後の会合に出席した党員は、来年の人事刷新を含む全てのことについて習氏が最終決定権を握っているとの印象を持った。党中央弁公庁主任の栗戦書氏は11月に新聞で、「最も誉れ高く、最も影響力があり、最も経験に富んだ」党の指導者である習氏の下に集結するよう当局者らを促した。一部の党員は、習氏に最も近い盟友の1人である栗氏が来年の常務委員会で反汚職運動の仕事を引き受け、王氏は引退するのではなく首相になるとみている。そうなれば、習氏は22年まで権力の手綱を引き締めると同時に、それ以降の続投の布石にできるだろう、としている。

これは中国が修正主義に染まっているとの話題ではないが、権力集中への危機感の表れだ。中国の権力集中は、大きくなった中国のリスクが政治に集中していることを示している。これがアメリカや日本のようになっていれば、政治と経済は分離できる。政治の決定が経済にインパクトを与えることはあっても、中国のように一心同体のリスクはない。しかも、中国は政党がひとつ。そこで、皇帝のような核心に権力が集められている。習氏の経済運営が機能しているなら、アメリカもここまで騒ぎはしない。外交、安全保障や領海問題だけなら、交渉が前提であり、いつの時代でも衝突が付き物の課題だ。だが、経済の世界はマネーで世界がつながっている。ある国の起こした波が、他の国に大きくなって伝わるのは日常だ。そして、マーケット全体に不穏な空気が生まれはじめ、習氏の経済能力のなさがさらに際立つのを見ると、アメリカの不機嫌さはさらに高まる。去年と同じ、チャイナリスクに身構えている。

Financial Times
扇動家の年:2016年はいかに民主主義を変えたか (2016.12.18)

ブレグジットとトランプの勝利は、革命的な瞬間を刻む。1789年や1989年とまではいかないが、間違いなく雷鳴のような現状の拒絶だった。中には、トランプを初期のファシストに見立て、1930年代との類似点を感じ取る人もいる。2016年は、強権的な指導者にとって良い年だった。ロシアのウラジーミル・プーチン、トルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン、今では中国指導部の「核心」に昇格した習近平といった指導者だ。感情と偏見を糧に勢力を伸ばす扇動家や大衆を喜ばすポピュリストにとっては、もっと良い1年だった。欧米諸国に広がったグローバル化への幻滅感だ。グローバル化は3つのトレンドを特徴とする戦後の現象だった。つまり、レーガン・サッチャー時代の狂騒の1980年代の規制緩和、国際貿易の自由化に関する1994年のウルグアイ・ラウンド合意、そして中国における市場経済のスタートだ。これは単に、世にはびこるポピュリズムではない。政治そのものの否定、つまり、今は亡き学者のバーナード・クリックが思い出させてくれるように、強制と数の暴力による統治に代わる唯一のものの否定である。我々は、しかと忠告を受けている、としている。

長文にしては、内容は薄い。今年、Financial Timesの凋落ぶりを、民主主義の終焉を論じるFinancial Times自身に感じる。実際にはもっと優秀なコンテンツがあって、日経の買収による日本語化のコンテンツの減少がひどい状況を作っているだけかもしれないが、日経から届けられる、ある意味でオフィシャルなFinancial Timesのコンテンツの質も、スピードも、まるで価値を見出せるレベルではない。日経の買収とともに優秀な人材との関係が失われたと見る方が適切だろう。
民主主義だけを振り返るなら、たしかに中国を除外できるとは思うが、政治の世界の最大のリスクがアメリカなのは認めるが、ふたつめは国力から考えても中国だ。その後、ヨーロッパ全体のリスク。日本は極めて政治基盤は安定している。それが日本の政治が高等、または理想的という意味とイコールではないのは誰もが知っている。アメリカの政治でトランプ氏が暴走をはじめれば、経済はトランプ氏からの独立、離反を模索するに違いない。イギリスで、徐々に経済がヨーロッパに別の拠点を作りながら、イギリスで生まれる新たなシステム、優遇措置をしたたかに利用する準備をしているように。政治は、社会にとって重要な位置を占めるが、すべてではない。ひとりのリーダーが決定できることの影響が大きいか小さいかは、民衆が決める時代だ。
だから私は、Facebookやメディアの破滅より、民衆は本当にグリーバリゼーションを拒絶しているのか、格差の是正のためには国家主義さえ受け入れるつもりなのか、それを恵まれる富裕層さえも認めるのかの方が気になる。トランプ氏の過激な発言よりは、トランプ氏の主張を、ビル・ゲイツやウォーレン・バフェットが聞かなければならない社会になるのか、それをニューヨーク、シリコンバレーやハリウッドが認め、アメリカという国が推進するのか、ということだ。そこまでアメリカ全土が変わろうとするなら、世界は大きく動き出し、革命に似た世界の変化がはじまったことを私も認識する。その分水嶺に、世界は立っている。

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