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2216.報道比較2015.5.5

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身構えていたほど、連休で日本のマーケットが置いていかれることは、今年もなかった。安らいだ連休になっただろうか?

産経新聞・社説
日銀見通し後ずれ 物価支える消費の回復を

日銀が、2%の物価上昇率目標を達成する時期の見通しを、「平成27年度を中心とする期間」から「28年度前半ごろ」へと後ろにずらした。昨秋以降の原油安や消費税増税後の消費低迷で物価が伸び悩んでいるためだ。脱デフレに向けたシナリオが遅れているのは残念である。ただ、ここは達成時期を焦るより、物価上昇につながる経済の活性化を着実に果たすことを第一に考えたい。消費や投資の動向をきめ細かく見極めながら金融政策を判断することが肝要だ。物価上昇への消費者の抵抗感が根強いと、企業は製品やサービスの価格を上げにくい。賃上げの動きが中小企業まで波及しなければ消費は盛り上がるまい。そのためには日銀や政府の後押しはもちろん、投資や賃上げを通じて経済の好循環を果たす企業の積極的な経営が欠かせない、としている。

日銀は適切に仕事をしている。政治は…圧力という意味での仕事はしてくれているようだ。賃上げには、プレッシャーをかけなければ動かないだろうと政治が判断したのなら、おそらく正しいだろう。政治に景気向上のリーダーシップを依存するなら、指示が来たら受け入れる責任がある。
私のような、中小にさえなれない零細業は、時代の流れに合わせたような賃上げをすることはないだろう。波及などしない。事業が好転すれば世の中が不景気でも賃金は上がる。逆も然り。ただ、トレンドが上向けば事業が好転しやすいのは事実だ。だから賃上げのプレッシャーが大手企業に起きるのはありがたく、次はおそらく設備投資を強要するのだろうが、それもまた期待している。日本のどこにマネーが淀んでいるかといえば、企業。そして家計。いまでもこの図式は変わらない。零細の私が反省するのは、シンプルにその淀んでいる人たちが魅力を感じるものを創造できていないことだ。大手の方々は、風が吹くのを待っていればいい。零細の私は、自らが快適と思える場所に、これから人が求めるものの創造に、活路を見出したい。

読売新聞・社説
医薬分業 「かかりつけ」の機能強化図れ

医薬分業には、医師が処方した薬の安全性や効果を薬剤師が点検し、医療の質を高める狙いがある。患者がメリットを十分享受できる仕組みにすることが重要だ。厚生労働省は1974年以降、院外処方の診療報酬を手厚くし、分業を誘導してきた。院外処方は今では7割に上る。薬の適正使用が促され、薬剤費の節約に一定の効果があった点は評価できよう。高齢化の進展に伴い、複数の医療機関に通いながら、在宅療養する患者は増加する一方だ。身近な地域の「かかりつけ薬局」が、服薬情報を一括管理し、薬の重複や飲み残しの確認、患者宅での服薬指導や健康チェックを行う体制作りが求められている。だが、十分に機能を果たしている薬局は少ないのが現状だ。内閣府の調査では、院外処方の価格が「高すぎる」と答えた人が6割に上っている。規制改革会議でも、診療報酬の見直しを求める声が大勢を占める。サービスの内容や質に応じ、診療報酬にメリハリをつけるべきだ、としている。

読売の主張にシンプルな疑問が生まれた。薬漬け医療をやめるために、という発想で進んでも、薬漬けはなくなっていないように見えるが、違うだろうか?病院の収入減としての薬局という原因を是正するには、分業化するというソリューションが間違っていたのではないだろうか?薬漬けという言葉は悪いイメージを招くが、薬だけで健康が維持できるならラクだという発想も社説内に感じられる。筆者は理解して書いているのだろうか?
もし、厚労省でさえ行き詰まりを感じているのなら、もう一度、何もかも見直すべきではないだろうか。世界で最長の平均寿命を誇る先進国。その名に恥じないしあわせが、日本の高齢化社会にあるだろうか?健康で、精神的にも安らいでいて、寿命が長い。その前提になるための精神的な安らぎが、見失われたままここまで来た。今のままでは、高齢化社会はさらに老人に精神的重圧を強いようとしている。システムの問題から逸脱して申し訳ないが、医療に関してはコストダウンや生産性を追求するのとともに、ずっと置き去りに去れている問題があるような気がする。

Financial Times
米中の行く手に待ち受ける「冷たい平和」 (2015.5.1)

最近まで、米国は景気後退、赤字の増加、政治的な行き詰まりによって表されていた。今では成長が戻り、赤字が減少し、驚いたことに、民主党と共和党が米国議会で協力し合っている。米国を優位に立たせているその他諸々の材料に、シェールガスとシェールオイルを加えることもできる。米国が戻って来たのだとすれば、中国は地域に到来した。自信のない期間が長く続いた後、中国は経済力を地政学的な野心と結びつけようとしている。南シナ海の係争中の島での空軍基地を通してであれ、パキスタンとの援助協定や中央アジアを横切る新シルクロード、あるいはアジアインフラ投資銀行(AIIB)のような地域の金融機関の創設を通してであれ、習近平国家主席は中国の権利を主張することについて、残っていた抑制を一切捨て去った。「優位性」は、中国にとってと同じくらい、米国の一部の同盟国にとっても頭の痛い言葉だ。西太平洋における米国のプレゼンスの正当性は、他の多くの政府が中国への対抗勢力として米国にとどまってほしいと思っているという単純な事実に基づいている。だが、中国の重みと釣り合いを取ることは、それでいいにせよ、中国の近隣諸国はどれほど不安でも、中国と仲良くやることに強い経済的利益を持っている。永続的な優位性を求めようとする米国は、衝突を招くだろう。止めることのできない力と動かすことのできないモノという言葉が頭に浮かぶ。どちらの側も冷戦は望んでいないし、ましてや軍事的対立など望んでいない。だが、状況は荒れようとしている。考えられる最善の状況は、明らかに冷たい平和なのかもしれない、としている。

この議論に答えを出すには、中国が一度、大きな経済危機を迎えてからにした方がいいだろう。世界がもっとも見てみたいのも、その未来ではないだろうか。いまの中国経済が持続するとは思えない。今はバブルであり、大きな収縮がいつ来てもおかしくない。それは、中国の人たちも含めて納得するコンセンサスのはずだ。問題は、その対応がソフトかハードかに関わらず、どんな未来を描くのかだ。アメリカのように、異常といわれても、無理といわれても復活するのか。日本のようにはかない夢でしぼんでいくのか。ロシアのように破滅に向かうのか。イギリスやドイツのような安定したスタイルもある。中国の価値観は、どれにも合致していない。新しい国家像、価値観を創出するようにも見えるし、何も手に付いていないようにも見える。立てば立つほど、アメリカは日本にしたように中国を攻撃するだろう。追い込まれていく中国が何をするのか、興味深い。

朝日新聞・社説
子どもの貧困―大人一人ひとりが動こう

日本の子どもの今を考えるとき、見過ごせない数字がある。16.3%。子どもの貧困率である。6人に1人が貧困であることを意味している。貧困率とは「世帯収入から国民一人ひとりの所得を試算して順番に並べたとき、真ん中の人の所得の半分に届かない人の割合」をいう。親を亡くした子どもたちを支援する「あしなが育英会」が、奨学金を受けている高校生にアンケートをしたところ、こんな声が寄せられた。「正直あした食べるご飯に困っている。早く自立できたらと何度もふさぎこんだ」「学校では食べずにガマンしている。友達といるとお金がかかるのでいつも一人でいる」貧しさは、子どもの責任ではない。子どもの貧困から目を背けてはならない。安倍政権は子どもの貧困対策法の成立を受け、総合的な対策を進める大綱を昨年、決めた。しかし、ひとり親家庭への児童扶養手当を増やすことは、財源不足などを理由に見送られた。また、子どもの貧困率を下げる数値目標もない。子どもは、これからの社会を担う存在だ。彼らを支えれば、未来も変わる。少しだけ、おせっかいになってみよう。大人になっても貧困から抜け出せない「貧困の連鎖」を断ち切ることにつながるかもしれないのだから、としている。

日本経済新聞・社説
社会全体で子育てを支えよう

子どもを持つかどうかは、もちろん個人の選択だ。しかし子どもを持ちたいと望んでも、それを阻む様々な壁がある。社会全体で子育てを支え、子どもが健やかに成長する環境を整えたい。子育てに希望が持てる社会にするために、行政にも私たち一人ひとりにも、もっとできることはあるはずだ。まず大切なのは、保育サービスの拡充だ。安心して子どもを預けられる場所を増やすことは、仕事か子育てかの二者択一をなくし、成長戦略が掲げる「女性の活躍」を後押しするうえでも欠かせない。政府は2017年度末までに、待機児童をなくすという。民間の力を生かし、機動的にサービスを増やしてほしい。問題は、こうした支援が本当に必要な人に届いているかどうかだ。子育ての悩みを抱えた人ほど、周囲から孤立し、支援を受けられないことがある。支援の網から漏れる人をなくし、悩みを早く解決する。行政の縦割りを廃し、子育て家庭の幅広い課題に一元的に対応する。こうした工夫はもっと広がっていい。若い世代では、収入が少なく生活が安定しないために、結婚や出産に前向きになれない人もいる。就業支援により、経済基盤を安定させることも大切だ。職業訓練を通じた非正規社員の処遇改善や、正社員への転換を後押ししたい、としている。

毎日新聞・社説
こどもの日 ゆったりと、はぐくむ

歴史のある古い木造建築の中で、この国の文化や伝統に浸って静かに自分を見つめる。都会の子どもたちはどれだけそうした経験があるだろうか。片時も携帯電話を離さず、いつも周囲の目を気にしながら、何かにせき立てられて生きている。そんな子どもが多くなったように思う。ゆったりした時間の中でこそ気づくことがある。じっくり時間をかけなければ育たないものもある。年齢の違う子どもたちが寺で集団生活を体験し、古い文化や伝統を体感する活動は、宗派を超えて各地で盛んになっている。祖父母との暮らしを知らず、きょうだいの数も減り、親戚や隣近所の関係も薄れていることが背景にあるのは間違いない。学校での生活が規則に縛られ、休日や夏休みに学校の施設を使いにくくなったとの指摘もある。急速に社会が変化し、新しい情報が目まぐるしく飛び交う時代だからこそ、何十年も何百年も変わらず地域に存在する寺に、何か子どもたちの感性を響かせるものがあるのかもしれない。たった数日の体験ではあるが、自分の知らない生活や時間の流れがこの国にあることを知る意味は小さくない。将来を託す子どもたちだからこそ、ゆったりとはぐくみたい、としている。

新聞が語るこどもの日は、あまりに暗い。そして、提案力もない。書いている人たち自身も、家庭の中で存在感を持っている人たちか怪しいレベルの発想。こどもの日に合わせたつもりだろうが、完全に墓穴だ。
産経や読売のようにスルーした方がいいか、判断がむずかしいのは判る。距離をとるその姿勢こそが、無関心の発端になり、少子化や家族という組織が脆弱になった遠因だろう。だが…朝日も日経も、感覚として認識しているだけで、問題の根源も、解決策も見ていない。毎日のぼんやりとした過去礼賛はなんだろう?意味もなく回顧主義に走っても、社会もこどもも学ばない。こういう姿勢が、むしろ過去と現在との距離を拡げ、断絶する。
私は先日、行政の会合に参加してみたが、その場で得られた情報はここでの社説よりよほど本質的だ。行政は、ぼんやりと見ているだけではない。問題を分析して解決しようとしている。それを捉えもせず、取材もせず、距離をとりながら固定概念で無責任に発信していくことが、問題をさらに悪化させているように思える。
ここまで社会のコミュニケーションが崩壊していった問題のひとつは、確実にマスコミにある。固定観念、均一化された理想像を勝手に想像し、政治や行政を攻撃することで問題が解決を促して収束する。そういう形で問題解決を図ろうというアプローチこそ、すでに大きく理想から逸脱していて、社会がしあわせを感じる邪魔をしているに過ぎないと認識して欲しい。こどもの日に、もっともあってはならない社説だ。

Wall Street Journal
宇宙放射線、飛行士の脳の働きに障害を与える可能性 (2015.5.2)

宇宙空間の放射線が宇宙船飛行士の脳に障害を与え、混乱や物忘れ、予想外の事態への反応を鈍くする可能性があるという研究結果が1日、発表された。これは、火星への有人探査飛行を計画している米航空宇宙局(NASA)がカリフォルニア大学アーバイン校とネバダ大学に依頼した研究だ。その結果、深宇宙を飛び交う荷電粒子に飛行士の脳が長時間さらされると、意思決定や記憶に関わる脳細胞に影響を及ぼす可能性があり、深宇宙への有人飛行を計画する際に考慮する必要があることが分かった。同研究では、深宇宙への飛行の神経系統への影響を予測するために、複数のネズミを荷電粒子に短時間さらす実験を行った。アーバイン校でがん研究を専門とするチャールズ・リモリ博士率いる十数人の研究者がこの実験に従事したが、放射線照射から6週間後に、そのネズミは照射を受けなかったネズミと比較すると、物事に対する関心を失うとともに活動レベルが低下し、混乱しやすくなったという。これらのネズミは、記憶や意思決定に関与する脳の海馬は前頭葉前部皮質の神経やシナプスに損傷がみられた。同博士は「今回の発見で将来の宇宙飛行が中止されることはないと思うが、何らかの技術上の解決策が必要であることを示唆している」と語った、としている。

対比させて申し訳ないが、こどもの好奇心が刺激され、大人とともに楽しく話せる話題とは、こういう話題のことだ。過去を称賛するなら、叡知や科学的な根拠とともに、学びを探さなければ「そんな時代もあったのか」と、こどもが感じるだけで、数時間後には忘れ去られるだろう。こどもたちの未来に価値のある形で提供しなければ、大人は受け取り側から拒絶されるだけだ。彼らの人生は、さらに長い。学ぶことは我々より多い。無駄な時間を過ごす余裕は、彼らにもない。
大人が勘違いすることが、いくつかある。大人の方が賢い。これは完全に誤りだ。過去の延長線上に社会があるから、過去のルールに大人が適合したから、こどもがそれを習得していないだけだ。だからこどもは、シンプルでないルールには違和感を見せる。それは社会が間違っていることが多々ある。
大人の方が知識を持っている。ある一点においては正しいが、これは、ある日どこかで逆転する。その日が大人が老いを感じる瞬間だろうし、次の世代に時代を渡す瞬間なのだろう。これが少しでも早い方が、高齢化社会にはしあわせなはずだが、なぜか大人は既得権にこだわる。彼らより知識を持っていると言いたがる。学ぶことへの意欲は、こどもに勝てないというのに。
世界はまだ、未知のことばかりだ。これこそが、こどもが気づかず、大人が教えるべき、もっとも大切なことだ。この事実を知った時ほど、こどもが輝くことはない。だから、Wall Street Journalのこういう記事こそが、最高のプレゼントであり、次の未来へのバトンでもある。大人たちのしていることよりもいい方法を、こどもたちが考えて追い越せる。見つけた答えを、どんどん引き継いでいく。そうやって、人はここまで生きてきた。輝いている大人がしているのは、挑戦であり、探求であり、努力である。こどもの時と変わらない。こどもの輝きを、少しでも長くできる社会を目指すことが、こどもの日に考えることではないだろうか。

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