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2118.報道比較2015.2.22

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春節を中国の人たちは楽しんだだろうか?日本はようやく中国の人たちをお客様と捉えられるようになってきたようだ。政治がその気持ちになれる日はいつだろうか。

Financial Times
香港市民、中国本土の「イナゴ」買い物客に怒り心頭 (2015.2.17)

彼らは香港で「イナゴ」として知られている。中国本土から百万人単位でやって来て、宝飾品から粉ミルクまであらゆるモノを大量に買い込む訪問者のことだ。香港の地元住民はかねて、買い物客が公共交通機関を混雑させ、店から人を締め出すと不満をこぼしていたが、何年もくすぶり続けてきた反感が次第に煮えたぎり、怒りに満ちた抗議行動に発展している。選挙制度改革に関する政府計画に対して昨年起きた「オキュパイ・セントラル」抗議運動によってその勢いが増したようだ。昨年のデモは香港の活動を停止させた。デモ参加者はことあるごとに、香港をより中国らしくしようとする香港当局の取り組みへの不満を表明してきた。一部のケースでは、その怒りが本土からの訪問者への敵意に変わったように見える。本土からの訪問者の数は、2009年に複数回入国できる数次ビザが導入されてから急増している。香港の住民は、訪問者の多くはモノを安く買うために香港に来て、本土で高い値段で再販する「並行輸入業者」だと不満を述べる。何君堯氏は、香港には、1回の訪問で平均8000香港ドル(1000米ドル)使う訪問者を追い払う余裕はないと考えている。「我々は逆『竹のカーテン』を築いているのか? そんなことは信じ難いし、信じられない」、としている。

数年後、日本でも起きそうな問題を香港のケースが示唆している。観光客を相手にした企業の株価が上がるほど、インバウンドは日本国内で起きた新たなチャンスのひとつだ。まだ問題は少なく、寛容に見ていられる。だがやがて、いくつかの大きな問題が生まれるだろう。今までの、マナーやルールを知らずに笑い話ができたようなものではなく、意図的で、対策を講じなければ危うくなるような問題が。それでも日本はそれを越えてでも観光立国になる意志があると信じている。たくさんの人たちが、いつでも楽しめる国になることができるだろうか?

日本経済新聞・社説
ギリシャ危機の解決はこれからが本番だ

緊縮財政に強く反発するギリシャへの金融支援をめぐり、欧州連合(EU)と同国は、2月末が期限の支援を4カ月延長することで合意した。財政破綻やユーロ圏離脱という最悪の事態はとりあえず回避された。しかし、債務問題と構造改革など同国が向き合うべき最も重要な課題については、議論を先送りしたにすぎない。ギリシャは3月下旬にも資金不足に陥ると見られていた。チプラス政権は今回の合意に安堵することなく、まず実行可能な改革案をつくり、金融支援を土台に自律的な成長を可能にする道筋を示すべきだ。政権を担う以上、保護に慣れた国民を説得し、現実的に政策を運営する責任がある。ユーロ圏に占める経済規模が3%弱にすぎない小国ギリシャに、単一通貨ユーロ体制が激しく振り回されている。ドイツ、フランスなど欧州主要国の政治指導者は、この厳しい経済統合の現実の姿を直視すべきである。チプラス政権が一貫して強気であるのも、EUにとってギリシャが戦略的に重要な地位にあることを、十分に認識しているからだろう。だとすれば、EUはギリシャを仲間として守るために、現実主義に立って協議し、必要な支援を続けるしかない。とりわけ緊縮財政で教条的な主張が目立つドイツに、柔軟な対応を期待する。今回の合意をギリシャ再建への一歩にしてほしい、としている。

昨日、Wall Street Journalがこのトピックに触れて、ここでも取り上げたが、社説として取り上げたのは日経のみ。竹島よりはギリシャの方が大きな問題だろう。そして、ここから学べる日本に反省を促すポイントもいくつも見られる。消費増税先送りも、海外から見ればこのギリシャと同じ印象を持つ人がいても不思議ではないと気づいただろうか?

毎日新聞・社説
対テロ国際会議 この結束から再出発を

「我々はみな同じ船に乗っている。助け合わねばならない」。そんな平凡とも映る比喩が、これほど強い実感を伴って響くのも珍しい。ワシントンで開かれた「暴力的過激主義対策サミット」におけるオバマ米大統領の演説である。「わが国は安全」と言い切れる国はあるまい。そんな時期に開かれた対テロのサミットである。閣僚級ではあるが、60以上の国や国連、アラブ連盟、欧州連合などの代表が集まり、非軍事面でのテロ対策を幅広く話し合ったことは意義深い。テロ対策が打ち出されたのは初めてではない。2001年の米同時多発テロ後、国連や主要国、関係国は何度となく対策を発表してきた。それでもテロ抑止には必ずしもつながらず、今また世界は過激主義への対策に苦しんでいる。2001年と今日の違いは、過激派の広報活動が充実したことだ。同時テロを実行した組織アルカイダも広報に力を入れたが、ISの比ではない。ISはさまざまな言語で記したウェブマガジンで自らの主張を発信し、世界各国の若者らを吸い寄せる。こうした情報戦略を打ち破るべく、米国とアラブ側が情報発信で協力することになったのは明るい材料だ。国連にも奮起を促したい。内戦下のシリアは死者が20万人を超えたとされ、ISの隠れ家とも拠点ともなっているのに、国連安保理は有効な手を打てない。米欧主導の決議案にロシアと中国が4度も拒否権を行使したことは問題だが、潘基文(バン・キムン)事務総長の指導力も問われよう、としている。

私は、テロをどう抑え込むかは、最終的には武器をどう制御するかに行き着くと思う。ロシアとアメリカが産業として、文化という名も含めて流出と生産を許容しているのが、単純な問題だ。やがてテクノロジーが、この問題を解決するだろう。IDがなければ発射できない、限定された地域でなければ動かない銃になればいいだけだ。そういうテクノロジーの導入を、アメリカとロシアが受け入れれば、この問題のひとつの根源は消える。戦おうとしても武器はない。だから戦争にまでは至らない。いまのウクライナの状態に制御できる。そしてスマートフォンのキルスイッチのような機能があれば、武器を密輸も提供もできなくなる。もっとも重要なのは、大量破壊兵器を機能不全にすることだ。
もうひとつは、もちろん文化と格差の問題だ。だが…こちらは銃を取り上げれば、恐怖は激減する。話し合いという場を作れるだろう。もちろん、いまのテロリストたちがその場に来るはずもない。彼らに論理などないのだから。その状況にできれば、教育は機能する。広報に対抗するアプローチは可能だ。不遇な人たちがやりたいことを考えてみよう。彼らは単純に「いまの不遇さを、鬱憤を晴らすように壊したい」だけだ。まずは武器を取り上げる。次に冷静な深呼吸を促す。危険な思想をさらに空爆で抑え込むなど、不可能だ。

産経新聞・社説
竹島の日 国民運動へ「政府主催」に

2月22日は竹島の日だ。返還運動に取り組む島根県が制定してから、10回目を迎えた。日本固有の領土である竹島(同県隠岐の島町)は、韓国に不法占拠されている。返還を求め活動を続ける県や町の関係者の努力に感謝したい。北方領土の日(2月7日)は政府が制定し、東京での返還要求大会には首相や関係閣僚が出席する。これに比べ竹島を軽視する印象を内外に与えてはなるまい。日本が閣議決定で竹島を領土編入した明治38年当時、どの国からも抗議はなかった。遅くとも17世紀初頭から、日本人は漁業などにこの島を使ってきた。ところが、韓国は27年1月、沿岸水域の主権を唱えるため日本海に「李承晩ライン」を一方的に設定し、竹島をその中に含め日本の漁船を拿捕した。同条約が発効(27年4月)し日本が再独立する直前の出来事である。こうした事実、歴史を政治家も国民も共有する形で、安倍政権はオールジャパンで返還を求めていく態勢をとってほしい。県独自の竹島の日を政府制定の日に格上げし、式典を政府主催にするなど、目に見える取り組みの強化が急務である、としている。

読売新聞・社説
竹島の日10年 「領土」解決に重要な啓発活動

松江市で第10回「竹島の日」記念式典を開催する。島根県は2005年に条例を制定し、翌年以降、1905年に竹島が県に編入された2月22日に式典を開いてきた。竹島に関する調査研究活動を続け、解説書や記念誌も製作した。その地道な努力に敬意を払いたい。政府は、領土問題担当の松本洋平内閣府政務官を式典に参加させる。2012年まで政府代表は出席していなかったが、安倍政権の発足後、政務官の派遣は3年連続だ。竹島は、江戸時代から日本が漁労地として利用してきた。戦後のサンフランシスコ講和条約でも日本が放棄する領土に含まれなかった。だが、条約発効直前の1952年1月、韓国は李承晩ラインを一方的に設定し、不法占拠している。日中韓当局は、3月下旬に3か国外相会談を韓国で開く方向で調整している。6月22日に日韓基本条約署名50周年を控え、関係修復への契機となる可能性もある。領土問題で対立しても、対話や実務的協力を重ね、双方が歩み寄って良好な関係を構築したい、としている。

ほぼ同じ原稿ということは、行政からの要請で書いた社説だろう。こういうことがあからさまに起きること自体、新聞としての報道の中立性が保たれているのかが気になる。どういう意志を持とうが自由だが、政府に同調するだけの新聞に未来などない。
いっそのこと2国の平和のために、両国で島と呼ばれる岩を破壊したらどうだろうか?その方がスッキリする。韓国が何のためにここに設備を作っているのかもわからないが、両国のしている意地の張り合いは、他国からだけでなく、国内から見てもバカバカしい。日本人の中で、この岩に熱くなっている人がいるのも事実だ。韓国もそうだろう。だが、大半の人にとっては「どうでもいい。仲が良い方がいい」。韓国もそうだと信じている。やがて呆れるほど険悪になったら、アメリカが牽制を発動する。それで恐れおののいて終わりだ。そんなくだらないレベルの喧嘩なら、両国でさっさと切り上げて欲しい。

朝日新聞・社説
首相のヤジ―敵意むき出し華もなし

民主党の玉木雄一郎氏が、砂糖業界団体の関連企業から西川農水相への寄付について、「脱法献金だと言わざるを得ない」と追及していた時、首相が自席からこんなヤジを飛ばした。「日教組!」「日教組どうするの、日教組!」玉木氏は「総理、ヤジを飛ばさないで」と繰り返し、見かねた大島理森予算委員長が「総理、総理も、ちょっと静かに」とたしなめた。首相はよく、答弁中のヤジに「私が答えているんですから」と顔をしかめる。それなのに閣僚の疑惑を突かれたからといって敵意むき出しで言い返すのでは、行政府の長としての矜恃や品位を自らおとしめることにしかならない。最近の首相発言でもうひとつ気になったのは、中東の過激派組織「イスラム国」による邦人人質事件にからむ答弁だ。参院予算委での共産党の小池晃氏の問いに、首相はこう答えた。「小池さんの質問はまるで、ISIL(「イスラム国」)に対しては批判をしてはならないような印象を我々は受ける。それはまさに、テロリストに屈することになると思う」。そうだろうか。むしろ逆に「首相の答弁はまるで、『イスラム国』と闘う首相に対しては批判をしてはならないような印象を我々は受ける」と返したくなってしまう。国権の最高機関の中での話である。あきれるしかない発言はお断りしたい、としている。

「朝日の産経化」と私が呼んでいる朝日の先鋭化した政府批判は相変わらず止まらない。この程度の事象を社説にするとは。この感覚で暴走すると、従軍慰安婦問題以上のミスを犯すだろう。それは致命的な事態を引き起こす。冷静になるなら今だ。
少し気になるのは、安部氏の変化だ。余裕がなくなったか、自信過剰になっているか。いずれかの傾向が見える。おそらく後者だろう。こちらも、このまま進めば大きな失点を演じることになる。これが統一地方選の前であれば、大きな失点につながるだろう。どちらにも必要なのは、冷静さだ。

Wall Street Journal
「インターネットの父」が警告する「デジタル暗黒時代」 (2015.2.20)

21世紀は将来の歴史家から忘れ去られるだろう——技術が急速に進歩している現代の私たちには考えにくい概念だ。しかし「インターネットの父」と呼ばれる人物が、米科学振興協会(AAAS)の主催した会議でそう警告した。インターネットの父の一人として知られる、グーグルのヴィント・サーフ副社長によると、ビデオカセットやアナログレコード、カセットテープ、フロッピーディスクなど、旧式の記憶媒体に保存されたデータはすでに読み取り装置がなくなり、ほとんどが消失した。サーフ氏は、それは始まりに過ぎないと言う。何世紀も残るような電子保存メカニズムがまだ生み出されていないため、今さまざまな記憶媒体に保存されている文書やデータも今後、消失する危機にさらされているという。サーフ氏はこれを「ビット(情報)の腐敗」と呼んでいる。大手ハイテク企業が提供しているクラウド技術や、ドロップボックスなどのクラウド型データ保管サービスを利用すれば、この問題は「少しは解決できるかもしれない。しかしサーフ氏は、数百年後でもデジタル情報に簡単にアクセスできるシステムを開発する必要性を訴えている。サーフ氏は、カーネギー・メロン大学でコンピューターサイエンスを教えるマハデブ・サティヤナラヤナン教授と協力し、教授がバーチャルマシンと名付けた開発中の技術を使ってこの問題の解決に取り組んでいる。サーフ氏によると、バーチャルマシンを開発すれば、バーチャルマシン上でハードウエアのエミュレーション(疑似化)を行い、オペレーティングシステム(OS)を搭載することが可能になるという、としている。

私の感覚がまだ古いのだろうか?間違っていたら教えて欲しい。ぜひ気づきたいテーマだ。私の感覚を話そう。
サーフ氏が気にしているのは、データ自体だろうか?メディアに記録された資産のことだろうか?前者なら、私はまったく気にする必要はないと思う。バーチャルマシンなど必要ない。資産だと思う人が、必ず変換して次に引き継ぐだろう。事実、MS-DOS以前のコードもデータも、今でもしっかり動いている。テープに記録されたデータさえ。一度、ビットになれば、それは永遠になると信じている。たしかにフォーマットは変化する。その変化で死滅するように見える。だが、それは私は新陳代謝だと受け止められるレベルだと思う。Flashは死んだ。だが、貴重な映像やゲームは、しっかり移植されている。そこで移植が断念されたものは…歴史が死を宣告した絶滅種ということだろう。私自身でも、同じ経験はしている。テキストも、MIDIも、サウンドも、画像も、ビデオも…残ったものと、大量に死滅を許容したものがある。必ず引き継ぎたいものが生き残っているのには、そこにフォーマットの変換労力を消費するだけの価値を見出したものだけだ。苦笑いしながらビデオやCDをゴミにしたのと同様のことが、デジタルで起きるだけだ。判断は人間がしている。むしろそうでもしなければ、デジタルは無駄があふれるだろう。
一方で、メディアに記録された資産の劣化スピードが恐ろしく早いことは知られていない。ここは啓蒙すべきだとは思う。CD-RやDVD-Rは、10年も持たないことは、案外知られていない。永遠に楽しめると思ったビデオや音楽が、再生しようとしたら読み込み不能になる。これは途方にくれるだろう。セキュリティとプライバシーを除けば、データはクラウドに置く方が、よほど安全だ。クラウドにあれば、データは消えない。むしろ消したくても残るほどに。私の2015年の感覚は、そうなのだが?

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