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1947.報道比較2014.10.23

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今日の国内社説は凪いでいる。政治批判にざわついていただけに平穏さを取り戻した。しかし、政権が何か変化したわけではない。

Wall Street Journal
香港メディア、民主派デモを多種多様に報道 (2014.10.23)

4週間目に入っている香港の民主派デモをめぐる地元メディアの報道ぶりは多種多様だ。香港は中国本土と違い言論の自由が確保されている。日刊紙が18紙、テレビ・ラジオ局が数社あり、各社はデモの動向を微に入り細に入り取材し、さまざまな視点から報道している。大公報など親中国の新聞はデモを違法であり暴動だと表現する一方で、反中国の蘋果日報は行政長官の選挙の民主化要求を支持する。香港大学ジャーナリズム・メディア研究センターの陳婉瑩センター長は「香港のメディアは広範で、人々はその中で真実を見出そうとする」と語る。大公報と蘋果日報などが論戦を繰り広げている中で、言論の自由の擁護者らは、中国とビジネス上の関係のある大物実業家がその他の大手紙を支配しつつあることへの不安を口にする。陳氏は「彼らは当然、中国本土の不興を買わないようしたがる」と話す。デモで最も困難に直面しているのはおそらく蘋果日報だ。親中派が同紙のウェブサイトを攻撃したり、印刷所が入っている本社ビルを取り囲み新聞の配達を遅らせたりしている。同紙の販売部数は民主派のデモ中に増加したとする一方、中国政府の圧力を受けて広告収入が減少していると明かす。警官らがデモ参加者を殴打した映像を放映したテレビ最大手TVBでは 放映に際して音声が消されたことをめぐって、従業員140人超が上層部に対し公開書簡を送って抗議した。公開書簡は、音声を消したことについて遺憾の意を表明するとともに、「香港が享受している他に類のない報道の自由を大切に思ってほしい」と住民に呼び掛けた、としている。

朝日新聞・社説
香港の対話―問われる中国の態度

香港の中心街が学生らに占拠されて、間もなく4週間になろうとしている。争点である行政長官選挙をめぐり、学生団体と香港政府との直接対話がやっと実現した。香港政府が対話に応じたことは前進と評価していい。だが、議論は平行線に終わった。北京の要人の発言に目立つのは「カラー革命」になぞらえた非難だ。カラー革命とは2000年代に東欧・中央アジアで続いた政権転覆を指し、背後で米国が仕掛けたと解釈されている。要するに、香港の学生らによる抗議を「英米勢力の介入による陰謀」と決めつけている。運動の先頭に立つ学生らは政治に目覚めた世代とされる。一昨年、中国が香港に「愛国教育」を強制しようとしたことに反発し、街頭行動に立ち上がった若者らが中心だ。その意味では中国自身が火付け役だったといえる。彼らの要求は政権転覆ではない。よりよき選挙制度である。現状からみて、妥協は難しそうにみえる。だが香港の民主主義を前に進めるため、また習政権に再考を促すためにも、対話を粘り強く続けてほしい、としている。

何も解決しないまま、4週間が過ぎた香港。Wall Street Journalはアメリカのメディアらしく露骨にデモを支持する。それくらいしてもバチは当たらないほど、中国共産党の今回の対応は、民主主義への意識から見ても、内政を仕切る立場としても秀逸とは言い難い。矛盾を抱えながらも主権としての自由が保証されている国から見れば、カラー革命といわれようが、内政干渉といわれようが、北京に批判的になって当然だ。日本政府は中国との険悪な状況を考えて沈黙しているのだろうが、メディアを含めて日本の香港への意識の低さは残念だ。

産経新聞・社説
学力テスト 競争封じる悪弊を見直せ

小中学生の全国学力テストで、市町村や学校別成績を順位付けして公表するなど実施要領に反した自治体に対し、文部科学省が結果データの一部を提供しないなどの罰則化を検討している。だが順位が分かり競い合ってこそ学力は向上するものではないか。競争を封じる悪弊こそ見直すべきだ。きっかけは、静岡県の川勝平太知事が、市町教育委員会の同意を得ずに市町別成績や全国平均を上回った学校の校長名を公表したことだ。ランキングを嫌っては自校がどの位置にあるのかよく分からない。長所や課題もみえにくくなる。昭和30年代の学力テストは日教組などの激しい反対運動で中止された。保護者から公表の要望が多いのに対し、これまで教育委員会や学校側は消極的だった。競争や評価を嫌い、結果責任をあいまいにする教育界の意識こそ変えてもらいたい、としている。

毎日新聞・社説
道徳の教科化 子供の何を見守るか

小中学校の「道徳の時間」を「特別の教科」(仮称)にし、子供たちの成長などを評価する。複雑な内面の問題とも向き合う道徳は、押しつけ的な「規格化」や、一定の価値観などが物差しになりがちな「評価」はなじまない。私たちはこう疑問を投げかけてきた。懸念はぬぐえない。答申は、特定の価値観を押しつけたり、言いなりに行動するよう指導したりすることは道徳教育に全く反するとし、多様な価値観と向き合い考える力が大事だと強調する。また、ネット時代の情報モラルや生命倫理など、今日の社会問題をテーマに取り入れることも提言する。難しい面もあるが、子供たちを引きつけ、考えさせるだろう。今の時代に根差し、グローバルな視点で新たな道徳教育をという理念には賛成だ。そのためには、できるだけ枠をはめず、多様で独自の工夫を生かした取り組みができるようにしたい、としている。

日教組という言葉が混じると、メディアでなくとも身構える。だがそのキーワードがなければ、産経の今回の社説に攻撃的過ぎるとの思いを抱く人も多いだろう。日教組は教育の領域で組織としては失格に値するほど、社会との対話が下手だ。そこに抱く不信感が、日本の教育問題をさらに複雑にしてしまっている。道徳、国歌、体罰、いじめ…集団行動を教え、学問を教える場に政治的な思考はなるべく持ち込まないで欲しい。政治がそこに介在することに拒絶感を持つのは納得できるのだが、政治は投票によって選ばれている大義がある。過度な敵対は親でなくとも不信感を持つだろう。
政治もまた、政党や個々の政治家の意志で教育方針に介入するのはやめるべきだ。世代によって思想にずれが生じている日本は、政治の振り子に振り回されていることにも原因があるのではないだろうか。特に、今の政府にはやって欲しくない。私は今の政党に、アメリカのネオコンに感じたのと同程度の拒絶感を覚える。

読売新聞・社説
後期高齢者医療 過剰な保険料軽減はやめよう

超高齢社会で社会保障制度を維持していくためには、高齢者にも応分の負担をしてもらうことが欠かせない。75歳以上を対象とする後期高齢者医療制度で、厚生労働省が、低所得者などの保険料負担を本来より軽減している特例を見直す方針を示した。2016年度にも実施する考えだ。75歳以上の医療費は、5割が税金、4割が主に現役世代が加入する医療保険制度からの支援金で賄われている。高齢化に伴う医療費の膨張で、赤字に陥る健保組合が続出している。現役世代の負担感は強まる一方だ。支える側の納得がなければ、制度は維持できない。年齢で区別せず、支払い能力に応じて負担する方式に転換するのが、社会保障制度改革の大きな流れである。高齢者の生活に配慮し、特例廃止は段階的に進めるべきだ。消費増税や年金の給付抑制で、高齢世帯の家計は厳しさを増そう。政府には丁寧な説明が求められる、としている。

病院が老人のコミュニティになっているとの笑い話を聞いた事がある。医療側がお得意様として依存している背景もあるのかもしれないが、必要以上の医療サービスを提供しているのなら、もう少し当事者の負担を増やして抑制しなければならないほど、財政状況は悪化している。問題は、本当に必要な医療まで削らずに運用できるだろうか?判別はかなり困難を極めるだろう。
が、今の自民党にそれが言えるだろうか?沖縄県知事選を有利に運びたいような発言を見る限り、今の政権にはその勇気も支持率もないように思える。またバラマキか?

日本経済新聞・社説
農家による農家のための農協に戻れ

政府は農業協同組合のあり方を抜本的に見直すため、農協法の改正案を来年の通常国会に提出する方針だ。農協自らも改革策のとりまとめに着手した。現在の農協は1947年の制度導入時にめざした姿と大きく異なる。農家が自主的に設立し、所得向上に役立てる農協の原点に戻るべきだ。農家の協同組合であるはずなのに農家以外の「准組合員」が過半を占める状態も制度目的に照らしておかしい。是正すべきだ。准組合員の増加は農協が組織を維持するため信用、共済(保険)事業を拡大したからだ。農家による農家のための組織であるからこそ農協には銀行、保険業務の兼営など「特権」が認められている。金融事業を一般顧客に拡大する現状は、他の金融機関と比べた公平性からも問題がある。政府・与党はこれまで長い間、農協の実態が制度目的から大きくずれていることを認識しながら放置してきた。農家だけでなく、消費者である国民が納得できる農協の姿を実現してもらいたい、としている。

これもまた、自民党にとって挑戦しなければならない課題だ。支持基盤を不利にするような法案を推進できるだろうか?TPP交渉を見る限り、その勇気を出せるかは五分五分だ。いまの逆風の中、その勇気が萎えてしまう可能性が高い。
本当なら、会社員が多い都市部の成人が正しく政治に参加していれば自民党ももう少し意見が変わるだろう。その層が無関心を装うほど、政治は多数の基盤にばかり迎合した政治を進める。無関心から脱却できるだろうか?

Financial Times
ユーロ圏経済:構造改革だけでは問題は解決しない

ユーロ圏の現在の政策が力強い景気回復をもたらす可能性は果たしてあるのだろうか?ユーロ圏の経済戦略を決めるのはドイツである。この戦略は(1)構造改革(2)財政規律(3)金融緩和の3要素から成っており、これまでのところ、適切な需要を創出できていない。2014年第2四半期のユーロ圏の実質需要は、2008年第1四半期のそれを5%下回っていた。しかし、ドイツのこれらの改革が成し遂げなかったことの1つが、ダイナミックな総需要の創出だった。2004年第2四半期から2014年第2四半期にかけて、ドイツの内需は実質ベースで11.2%しか増えていない。年率に換算すれば1%の伸び率だ。もっとひどいことにならずに済んだ格好だが、「機関車」の役目を果たしてきたとはとても言えない。ユーロ圏の最大の課題は、制度を作ることではなく、調整を促進して経済成長を再開させることだ。ユーロ圏の市民は、いつまでも我慢してくれるわけではない。実際、景気の低迷が続くことの危険性は明白だ。ユーロ圏は、リスクを取って景気の拡大に踏み出すべきである。今はその方が安全だ、としている。

ドイツの失速がはじまったのはウクライナ問題からだ。とはいえ、ロシアに頼った復活は期待できない。自力での復活が求められている。
世界中、どこも欲しがっているのは「需要」だ。需要とやらはどこに転がっているのだろう?企業は必死でニーズを探している。あなたに欲しいものは、したいことは、あるだろうか?すぐに答えられないのなら、需要はどこにあるのだろう?時代をシフトしなければ生まれないのではないだろうか?少なくとも、オリンピックではない気がする。

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